アジア有数のハイエンドブランド【ジムトンプソン】と創業者トンプソン氏の半生
タイのプロダクトを語る上で
やはり外せないブランドの一つ、ジムトンプソン。
数奇な運命を辿った末に、失踪した創業者、
トンプソン氏が半生を掛けて、アジアを代表する
ハイエンドブランドに昇華させたその魅力について
お話しましょう。
タイシルク復興の立役者、トンプソン氏の半生
ジムトンプソンの創業者である、
ジェームズ・ハリソン・ウィルソン・トンプソン氏は、
1906年にアメリカ東部のデラウェア州に生まれました。
建築家から、軍人へ・・・トンプソンの数奇な経歴
プリンストン大学で建築を学び、
その後は、ニューヨークで建築家として活躍しています。
その後、第二次世界大戦で揺れる世界で
ジムトンプソンは、自ら志願してアメリカ軍に志願しました。
アメリカ諜報機関CIAの
前身であるOSS(戦略情報局)に転属し、
終戦前後に、OSSバンコク支局長に就任します。
ジムトンプソン氏が、OSSバンコク支局長であった
時代のタイは、軍事政権とそれに抵抗するグループ、
そして、それぞれの派を支援する外国勢力とが複雑な
バランスで存在し、不安定な政情でした。
1949年に中華人民共和国が建国された後、ベトナムやラオスでは
共産主義勢力が活発化。
タイとその周辺国の共産化を恐れるアメリカにとって、
バンコクは東南アジアにおける重要な拠点となりました。
トンプソン氏は、戦時中の人脈や経験を生かして情報収集に
携わり、諜報員としての手腕を発揮したのでした。
アメリカ軍除隊後、縁あって、
当時、バンコク唯一のヨーロッパ風ホテルであった、
ジ・オリエンタル・バンコクホテル経営に携わるため、
大戦終了後もバンコクに留まることを決意したのでした。
タイシルク王への道程
この時、ジムトンプソンは、
衰退していたタイシルク産業に着目しました。
主に、タイ東北のイサーン地方を中心に
タイ原産の野蚕を用いた伝統的なシルク織物。
タイ原産の野蚕を用いることで生まれる独特の光沢
凸凹の節が多い野蚕の糸からしか生まれない風合いと手触り
他の国の、シルク製品とは、また違った魅力をもつ
タイシルクにトンプソン氏は魅了されていきます。
埋もれかけていた、タイ伝統のシルク産業との出会い
しかしながら、元々、手間暇が掛かる、シルク製品。
加えてタイ原産の野蚕が吐く糸は、他の蚕が吐く糸と比べて、
太く、より凸凹した節があることで、機械織りに適しません。
このような事情から、タイ伝統のシルク製品は手織で
あることが前提であり、生産性が低く高価なものに
なっていました。
これらの事情により、外国産の安い布地や
機械織りのシルク製品に押されて、
当時、伝統のタイシルク産業は、行事用に用いる
目的のみの製品が細々と生産されているのみ。
伝統のタイシルク産業は、
時代の中に埋もれ行く運命にあったのです。
トンプソンの挑戦、タイシルクの伝統に光を・・・
魅力あるタイシルク産業を復興させる決意を胸に、
トンプソン氏は、その魅力を引き出しつつも、
生産性の向上につながる織り方、染色を研究しました。
この成果の一つに、縦糸(経糸)と横糸(緯紙)で
異なるシルクを用いる手法があります。
これにより、機械織りに適した生産を行うことが
できるようになりました。
加えて、異なるシルクをブレンドすることにより、
シルクから反射される光を複雑にすることで、
より味わい深い強い光沢と、風合いを醸すことができました。
また、ジムトンプソンのタイシルクは、
養蚕農家選びから始まっています。
そして繭のボイリング、糸巻染色、
織りからプレスに至るまでの工程を全て手作業で行っています。
デザインも、タイらしいオリエンタルな雰囲気を
残しつつ西洋のセンスも取り入れることも意識されています。
これは、創業者のジムトンプソン氏が、タイシルクを
普及させる上で重点的に考慮した点であると言われています。
どんなに質が良くても、デザインが伝統的なものに
偏り過ぎていては、世界的に受け入れられないという
思いがあったのでしょう。
一流のデザイナーとコラボすることにより、
伝統のタイシルク製品は、西洋のエッセンスと絶妙に
ブレンドされた、モダンなデザインにより、
他のシルク製品とは一線を画すプロダクトへと
昇華されていきました。
ジムトンプソンの躍進とタイシルク王の失踪
ジムトンプソンのシルク製品は、洗練されたエッセンスを
取り入れることで、アメリカのファッション業界を
中心に注目を浴びることとなります。
1956年公開の映画「王様と私」の衣装にジムトンプソンの
タイシルクが使用されたことでその名を世に知らしめました。
今や、ジムトンプソンのタイシルクは世界的にも
高い評価を得ています。
暮らしの在り方と向き合う、ジムトンプソンのライフスタイルコンセプト
タイ好きならお馴染みの、ジムトンプソン。
上質なタイシルクと、モダンなデザインで
タイ旅行のお土産にも喜ばれる、タイを
代表するブランドまで成長しました。
バンコク市内をはじめ、タイ国内に25店舗の拠点を擁し、
今や、国外においても、シンガポール、マレーシア、ドバイ、
ブルネイ等で店舗運営しています。
その高い品質とデザインは、タイシルク以外の小物でも存分に
活かされており、シルク製品に留まらない豊富なアイテムの
ラインナップがあります。
シルク製のハンカチ、ネクタイ、スカーフの他に、
クッションカバー、寝具、コースターや置物などの
小物などに始まり、シルク以外にもレザーやコットン製の
アイテムもまた、独自のコンセプトの下、
洗練されたデザインアイテムをリリースしています。
タイシルクに重点を置きつつも、その一つの枠のみに
とらわれることなく、生活インテリアに関わる
広範囲なアイテムをブランドイメージで彩ることで、
独自の”暮らしの在り方”
を提唱するに至っており、これが、プロダクトだけでなく
ショップの内装などに一貫性(世界観といってもいいでしょう)を
持たせることにより、単なるシルク製品ブランドに留まらない、
上質なライフスタイルコンセプトを提唱する
アジア有数のブランドとなっています。
マレーシアに消えた、タイシルク王
タイで最も成功を収めたと言われる創業者のトンプソン氏。
タイシルク産業の復興に貢献したその功績により、
外国人が受ける最高位の勲章である「白象勲章」を受けています。
しかし、その後、トンプソン氏は休暇で訪れていた
マレーシアの高原キャメロン・ハイランドで失踪します。
大捜索にもかかわらず、その後の足取りは掴めなかったのです。
突然の失踪は、事件に巻き込まれたのか、諜報活動と
関係があるのか、または個人的な事情で姿を消したのか、
現在でも真相は定かではありません。
時代の中に埋もれかけていたタイシルクという
伝統産業に光を与えたトンプソン氏。
建築家、諜報員、実業家・・・・
様々な肩書とともに数奇な人生を歩んだ創業者が
その姿を消した後も、ジムトンプソンは、躍進を続け、
今なお、タイを代表するハイエンドブランドに
位置付けられています。
私ミノスケは、初めてジムトンプソンの店舗に
訪れたときに、軽く衝撃を受けたのを覚えてます。
雑多でカオスな熱気漂う首都、バンコクにおいて
他とは、一線を画す雰囲気。
統一されたコンセプトの下、モダンで洗練された
印象を受けるデザインのアイテム。
しかしながら、洗練されつつも、タイシルク独特の
力強い艶と風合いは、表現されており、
”確かに、タイを代表するブランドなだけはある”と
このブランドのアイテムの取扱いを決意したのでした。
私ミノスケが運営する
「オリエンタル雑貨の店Port」では、
アジアに滞在する中で、これは、世界に通用する、
日本人にもハマる!と思った品を、持ち帰って
皆さんにご提供するインポートショップです。
今回ご紹介したジムトンプソンも多数取り扱っており、
随時、追加入荷も行っております。
ご興味持たれた方は、ぜひ、WEBショップに
お立ち寄りくださいませ。
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